祖父のときは、自宅から出棺しました。
祖母のときは、斎場から送り出しました。
両方を経験して、はっきり分かったことがあります。体にかかる負担が、まったく違いました。
そして、思い返してみて気づいたことがもうひとつあります。「自宅に帰ること」と「自宅から出棺すること」は、別のことでした。
この記事では、実際に立ち会って分かったことを書きます。これから決める立場になる方の判断材料になればと思います。
棺は、想像しているより大きくて重いものです
まず、ここから書かなければなりません。
私は、棺というものをずっと軽く見ていました。
実際は、2メートル近い長方形の木の箱です。中にご遺体が納められています。
そして、いちばん重要なのはここです。
棺は、直線にしか動かせません。
硬い長方形なので、曲げられず、傾けられず、小回りがまったくきかないのです。ソファを運ぶのとは訳が違います。丁重に、水平を保ったまま、まっすぐ動かすしかありません。
この一点が、自宅からの出棺を難しくします。
祖父のとき──家から出すまでが、最大の難所でした
玄関ではなく、掃き出し窓から出します
自宅からの出棺では、掃き出し窓(庭に面した大きな窓)を全開にして運び出しました。玄関は狭く、曲がり角があるため通せないからです。
窓自体は、棺を横向きにすれば問題なく通りました。
問題は、その先でした。
庭が、棺の敵になりました
実際に大変だったのは、窓を出てから霊柩車までの数メートルです。
- 窓から庭までの距離が狭い
- 庭に植木がたくさんあった
- 直線で抜けられるルートがない
普段は何とも思わない植木が、2メートルの箱を水平に運ぶとなると、すべて障害物になります。
棺は傾けられません。避けて通るしかありません。しかし避けるスペースがない——この繰り返しでした。
男性10名ほどで担ぎ、全員が疲労困憊しました
担いだのは、親族と近所の男性、10名ほどでした。
距離としては、ほんの数メートルです。それでも全員が疲れ切っていました。
重さだけが理由ではありません。絶対に落とせない、傾けられない、乱暴に扱えない——その緊張が、体力を削っていきます。
見送る場面であるはずなのに、その瞬間は「運び出すこと」で頭がいっぱいになっていました。
祖母のとき──斎場は、驚くほど楽でした
数年後、祖母は斎場から送りました。
正直に書きます。まったく苦になりませんでした。
| 自宅から | 斎場から | |
|---|---|---|
| 運搬 | 人の手で担ぐ | ストレッチャーのような台に載せる |
| 通路 | 狭い・障害物あり | 十分な幅がある |
| 段差・階段 | そのまま越える | エレベーターがある |
| 必要な人数 | 10名ほど | 少人数で足りる |
| 負担 | 非常に大きい | ほとんどない |
斎場は、そもそも棺を動かすために設計された建物です。通路が広く、段差がなく、エレベーターがあります。
祖父のときの苦労を知っていたので、「あの苦労がなくてありがたい」と、素直に思いました。
それでも、人の手で担ぎたい気持ちは残ります
ここは書いておきたい部分です。
斎場では、台に載せてしまえば移動は簡単です。しかし台に載せるまでのわずかな距離を、何名かの男性が手で担ぎました。
機械に任せればいい場面です。それでも、手で担ぐのです。
おそらく、最後は人の手で送りたい、送らせてあげたいという気持ちがあるのだと思います。
合理性で言えば不要な行為です。しかしあの数十秒には、確かに意味がありました。
楽になった分、失われるものもある——そのことは、書き残しておきたいと思いました。
知っておくべきこと──「家に帰る」と「家から出棺する」は別です
ここが、この記事でいちばん役に立つ部分かもしれません。
祖母のときのことを思い返して、気づきました。
祖母のご遺体も、一度は自宅に帰ってきていました。
棺ではなく、布団で過ごしました
自宅で1晩か2晩を過ごしました。そのとき祖母は棺ではなく、布団に寝ていました。
そして斎場へ移すときは、布団ごと運びました。
だから——祖父のときのような苦労は、一切ありませんでした。
つまり、両方が叶います
整理すると、こうなります。
| やり方 | 家に帰れる | 運び出しの負担 |
|---|---|---|
| 自宅で安置し、自宅から出棺 | ◯ | 非常に大きい |
| 自宅で安置し、斎場へ移してから出棺 | ◯ | 小さい |
| 最初から斎場に安置 | × | 小さい |
「家に帰してあげたい」という願いは、自宅出棺を選ばなくても叶います。
布団の状態であれば小回りがきくため、家に入れることも、運び出すこともはるかに容易です。負担が生まれるのは「棺に納めてから動かす」段階なのです。
この違いを知らないまま「家から送りたいから自宅出棺で」と決めてしまうと、当日、家族が想定外の重労働を負うことになります。
家で待っていた時間のこと
負担の話ばかり書いてきましたが、良かったことも書いておきます。
祖母を迎えるため、私は家を掃除して、布団を出して待っていました。
あのとき家に帰らせてあげられたのは、本当に良かったと思っています。斎場から送ったことに悔いはありません。家で過ごす時間は、ちゃんとつくれたからです。
バスのおもちゃが鳴った話
これは、信じる信じないは読む方に委ねます。ただ、我が家では本当にあったことです。
祖母は、私の息子から見ればひいおばあちゃんにあたります。ひ孫のことを、それはもうかわいがってくれていました。
当時の息子は車が大好きで、ミニカーやおもちゃの車をたくさん持っていました。その中に、ひいおばあちゃんが買ってくれたおもちゃのバスがありました。ボタンを押すと音が鳴り、「発車します」「次、止まります」としゃべるものです。
祖母を迎える準備をしていたときのことです。部屋を片づけ、布団を出していると——
発車します
突然、あのバスが鳴りました。
家には誰もいません。私ひとりです。
え、と思いました。そしてその10分ほど後、もう一度鳴りました。
不思議なもので、怖いという気持ちはまったくありませんでした。それどころか、こう思ったのです。
ああ、ばあちゃんか。これから帰ってくるんだね。
時間が、ぴったり合っていました
後になって家族にこの話をすると、時間がほぼ一致していました。
そしてもうひとつ分かったことがあります。家族は、私に「これから出発する」と連絡するのを、すっかり忘れていたのです。
それでも私は、間に合いました。バスの「発車します」のおかげで、準備を万端に整えて祖母を迎えることができました。
家族みんなで、泣き笑いになりました。
ばあちゃん、死んでからもちゃんとみんなの面倒見てるんだね。
母さんが伝え忘れてるから、焦って鳴らしたんだよ。知らせなきゃって、2回も。
私は、本当にそうだと思っています。
葬儀は、費用のことや段取りのことで頭がいっぱいになります。それでもこういう時間が、確かにありました。
自宅出棺を考えるなら、先に見ておく場所
それでも自宅から送りたい、という気持ちは自然なものです。否定するつもりはまったくありません。
選ぶ場合は、事前に経路を実際に歩いて確認してください。頭の中の想像では、必ず甘くなります。
確認する項目
- 安置する部屋から外へのルート(曲がり角があると通りません)
- 掃き出し窓の幅と、その前に物が置かれていないか
- 窓から道路までの距離と幅(ここが最大の難所です)
- 庭の植木・室外機・自転車・段差(当日どかせるか)
- 霊柩車が停められる場所があるか
- 階段があるか(2階に安置すると難易度が跳ね上がります)
- 担ぎ手を何人確保できるか
最後の項目は、年々難しくなっています。10名の男性を集められる家庭は、今では多くありません。親族の高齢化もあります。
ここは葬儀社に率直に相談してよい部分です。「うちの家から出せますか」と聞けば、経験から判断してもらえます。
どちらが良かったか
結論として、私はこう考えています。
負担で選ぶなら、斎場です。これは比べるまでもありません。
ただし、祖父を家から送り出したことを、後悔しているわけではありません。
あの日、10人が汗をかいて、緊張しながら数メートルを運んだこと。その大変さ自体が、見送りの一部だったようにも思います。
だから、こう言うにとどめます。
大変さを知ったうえで選ぶなら、どちらでもいい。知らずに選ぶと、当日つらい思いをします。
まとめ
- 棺は2メートル近い木の箱で、直線にしか動かせない
- 自宅出棺の難所は窓から霊柩車までの数メートル。植木や狭さが障害になる
- 祖父のときは男性10名で担ぎ、全員が疲労困憊した
- 斎場は台・広い通路・エレベーターがあり、負担がほとんどない
- それでも最後は人の手で担ぎたいという気持ちは残る
- 自宅に帰ることと、自宅から出棺することは別。布団で安置して斎場へ移せば両立できる
- 自宅出棺を選ぶなら経路を実際に歩いて確認する
- 負担は減らせても、家に帰してあげられた時間の価値は変わらない
もし今、この判断を迫られている方がいたら。「家に帰してあげたい」だけなら、自宅出棺でなくても叶います。そのことだけは、知っておいてください。
掃除をして、布団を敷いて待つ。その時間まで手放す必要は、ありません。
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※葬儀の形式や進め方は、地域の慣習・宗派・葬儀社によって異なります。この記事は一家族の経験です。実際の可否については葬儀社にご確認ください。


